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『汲美の会』について

 

 『汲美の会(きゅうびのかい)』とは、いわゆる団体や、特定の作家達のグループではありません。2007年まで日本橋にあった画廊「ギャラリー汲美」に集っていた作家達の集まりで、その年の5月の、画廊主である磯良卓司氏の急逝によって幕を閉じてしまった「ギャラリー汲美」の精神を受け継いで行こうと考え、私(平井)が名付けた会なのです。

 「ギャラリー汲美」は、銀座〜京橋〜日本橋と場所を変えながら(銀座では2ヶ所)、熱く時代を駆け抜けた画廊さんでした(陳腐な言い方ですが、今となっては、そう言うしかない訳です、過去形で)。これからきっと、伝説となるであろう存在です(でした、か)。

 私が、汲美さんに初めて伺ったのは、確か1994年のことで、その頃は、オープン時の場所(歌舞伎座の真裏だったそうで、ナンと今でも、看板が残っています)から移転したばかりだったようでした(後から判ったことですが)。銀座4丁目の交差点から、昭和通りの方に行った、三原橋の手前の、今はもう無くなってしまったビルの2階にありました。私が行くようになってから大分経った時に、1階にカフェの「タリーズ」の第1号店が入ったビルと言えば、その場所がお判りになる方もいらっしゃるかも知れません。今では、三越の新館となってしまいました。

 何故、この画廊に行ったかと言えば、ある美術雑誌に小さな広告が出ていたのを見て、その作家も、画廊も全く知らなく、広告の写真も小さなモノであったにも関わらず、ナニか惹かれるモノを感じて、探して行ったのでした。当時は、2,3年間、今で言う介護をしていた母が亡くなった後の虚脱状態から、ナンとか抜け出しつつあって、画廊廻りを再開し始めた頃でした。
初め、間違えて隣のビルの階段を上ってしまい(二つのビルの階段が並んでいるので)、2階には美容室があったので、「ギャラリーは?」と聞くと、店のヒトにウンザリ顔で、「隣」と言われ(余程、間違える人が多かったのでしょう)、謝って降りて、隣の、1階に喫茶店(タリーズになる前は、入り口に煙草売り場があるような昔ながらの「喫茶店」でした)のあるビルの階段を上って行くと、踊り場に絵を入れる函が置いてあったりして、かなり古い画廊なんだなと思いつつ(ビル自体も古かったし、「汲美」と言うネーミングからもそう感じたのですが、それは勘違いだと、後日知ることになります)、画廊内に入ると、その時は平日の夕方5時前頃だったと思うのですが(当時は失業状態で)、その日は初日でも最終日でもないのに、そんなに広くないスクエアな(ちょうど、ウチを一回り小さくしたくらいの)画廊の真ん中で、車座になって酒盛りをしている光景(しかもオッサンばかり=失礼!)が眼に入って来たのです!ナンだ!?ココは!?と思って、絵を見たらさっさと出ようと考えて入って行き、見慣れぬ客を全く気にする風でも無い人々の背中にぶつからないように、時に蟹歩きになりながら見始めました(実は、その時、絵を見ている私のことを、その車座の人々が、ジックリと観察していたのだと、これもずっと後になって気付くことになります)。見終わったら早く出ようと思いつつも、絵がすごく良かったので、ジックリと見てしまい、一周したところで、さあ出ようと、「失礼します。」と言ったか言わないかの時に、スックと立ち上がった、スーツにネクタイ姿の、作家とも画廊主とも見えなかった(画廊主だった訳ですが)ヒトに、一言「あなたも一杯如何ですか?」と言われたのでした。それが、亡き磯良さんとの出会いでした。磯良さんの言い方が、とても優しく、物腰も柔らかく、ちょっと微笑んで仰ったので、つい、立ち止まってしまったのでした。もしあの時、彼が座ったまま、「あんたも呑まないか?」とか言ってたら、「結構です。」と言って、さっさと出てしまい、その後、二度と再び、この画廊に行くこともなかっただろうし、私が、今現在、画廊(のようなもの、かな?)なんぞをやることにもなっていなかっただろうし、それ以前に水彩画をやるとか、個展を開くとかいうことにもなっていなかったかも知れません(水彩の師匠とは、ココで出会ったので)。

 「一杯」と言われて、車座の中心のテーブルに目をやると、ナンと、ココはホントに画廊か!?と思えるような、美味しそうな肴や酒が色々と並んでいたので、「…あ、じゃあ、一杯だけ。」と言って座ったのが、ウンのツキと言うヤツで、そのまま、そこに居るヒトの誰をも紹介されることもないまま(個展の作家さんは居なかったように思います―確か、山口敏郎さんでした)、閉廊時刻の7時を過ぎても一向に終わる気配も無く(それどころか、7時半くらいにやってくるヒトもいたりして!?―この辺は、その後足繁く通うようになってからの記憶と混ざっているかも)、結局9時頃まで酒盛りに同席してしまい、あろうことか、その後の二次会(近くの三原橋の地下にある超コアな呑み屋)にも行ってしまい、それからずっと、銀座画廊廻りの最後に「汲美」に行き、二次会にも行く、と言うパターンが出来てしまったのでした。7時過ぎにやってくる客の一人、それも一番最後の方に来る人間になってしまったのでした。

 しかし、ナニも、酒盛りをしたいが為だけに「汲美」に行っていた訳では、もちろんなく、ココで個展をやる作家さん達の質の高さに(その頃は無名の方もいらっしゃいましたが―私が知らなかっただけかも?)触れられる喜びが大きかったからに相違ありません。とは言え、酒盛りも楽しい時間で、色々な人達と知り合え、会話や議論を交わし、今思えば、そういった「汲美」での経験の全てが、今の私の中にあると言っても過言ではありません(磯良さんの巧みな弁舌と交渉術で、金も無いのに、次々と絵を買ってしまって、未だに残っている借金も、その一つかも知れませんが)。それにしても、私が行くのは大概土曜日で、時々初日などに行くと言うパターンでしたが、他の日も、ほとんど毎日のように酒盛り・二次会が続いていたようです。今から思えば、それが、磯良さんの身体を蝕むことになった一因だった訳で、いささか忸怩たる思いを抱かざるを得ませんが…。

 そして、ひょんなことから、「汲美」で出会ったカジ・ギャスディン氏(その前にも他の画廊での個展で、一度お会いしてはいたし、作品はもっと前から見ていて好きだったのですが)の自宅での水彩画教室に通うことになり(20歳前後の頃、銅版画をやっていて、家庭の事情で出来なくなり、母の死後、再開するも挫折して、ナニかをやりたいと言う気持ちはずっとあったのですが、水彩は、全く考えていませんでした)、又々ひょんなことから、「汲美」で初個展を開くことになったのです。「汲美」さんは、本来は企画画廊ですが、当時(2002年)は年に1,2本貸しをしていて、その一つがキャンセルになったため、ある日「汲美」に行った時に、磯良さんが唐突に「ウチで個展をやらないか?」と言われたのですが、「汲美」のような実力者ばかりがやる画廊で、絵を始めてまだ数年の、デッサンもきちんと出来ないような私なんかが個展やるのは無理だとお断りしたら、多数決で決めるとか言い出し(その時居たのは、作家のN.U.氏とH.M.氏に、磯良さんの学生時代の親友二人に磯良さんと私を加えた6人でした―珍しく夜ではなかったような気がします)、挙手で決められてしまったのです!その席に居た人で、それまでに私の絵をみたことがあるのは、グループ展に来てくれた磯良さんとH.M.氏だけだったのに、N.U.氏は多少知っていたかも知れませんが、磯良さんの友人達は全く知らないのに(一人は確か初対面だったし!)私以外全員賛成で、H.M.氏には、反対してくれるようにお願いしたのですが、そんな状況じゃないだろ、なんて言われ、磯良さんに「5対1で決定しました。」と言われても、まだ駄々をこねていると、N.U.氏から「男ならガタガタ言わずにやれ!」と一喝され、やる羽目になっってしまったのでした。個展まで、確か4ヶ月くらいしかなく、それから必死で描いて(初めてなので、ストックもありましたが)、ナンとか無事に(?)個展を終えることが出来たのも、今となっては、楽しい思い出です。その時も、磯良さんには大変お世話になりました。

 長くなりました。そんな縁の画廊が、ある日突然、無くなってしまったので(勿論、それまでに色々とありましたが)、私を含めて、「汲美」に集っていた多くの作家やコレクターやウォッチャー等、諸々の人々が、大きなショックと虚脱感に襲われたのは、言うまでもありません。
 磯良さんが亡くなられた翌年の2008年に、京橋の「ギャラリーび〜た」さんでやった一周忌展に合わせて、私が「汲美の会」第一回展を開いたのは、勿論磯良さん追悼の意味もありましたが、亡き汲美・磯良さんの遺志を汲んで、その精神を継承していこうと思ったからでした。元より、私には、磯良さんのような度量も力もありませんし、ポルトリブレが汲美の後を引き継ぐなどと言うオコガマシイ思いはありませんが、その精神・魂だけは受け継ぎたいと思ったのは確かです。その思いをご理解戴き、快く「汲美」の名称を使わせてくれることを認めて下さった、磯良さんの妹御の草野裕子さんには、心より感謝しております。草野さんは、いずれは、「汲美の会」と言う名前が定着し、その由来は、昔そういう画廊があった、と言う風になれば、きっと兄も喜びます、と言って下さいました。有り難いお言葉です。私も、そう言う風になれば、それこそが磯良さんに対する最大の供養になると思っています。そんな「汲美の会」の精神に賛同して出品して下さった、多くの作家さん達にも本当に感謝しております。

 長々と書き連ねてしまいました。あまりに「汲美」に対する思いが強すぎて、引かれてしまうかも知れませんが、この展覧会は、そういったことを知らなくても、充分魅力のある、見応えのある展示となっていると確信しております。

最後に、今展覧会会期中の5月15日は、故磯良卓司氏のご命日に当たります。今年は没後5年で、来年は七回忌になります。時の流れは早いものです。加齢と共に、月日の過ぎるのが早く感じられるようになるのは、人の世の常なのかも知れませんが、もうそんなに時間が経ったのかと言う気持ちと、ナニかもう、遥か昔のことであったような感じがするのは、何故なのでしょうか?又々陳腐な言い方で申し訳ありませんが。

 謹んで、磯良さんに哀悼の意を捧げると共に、深い感謝の気持ちを捧げたいと思います。

2012年5月11日
フリーアートスペース ポルトリブレ 代表 平井 勝正

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